青空侍のシネマ徒然日記

映画や音楽について、徒然なるままに・・・

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- --:-- | スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-) |
itimaino1.jpg

 生きるか死ぬかはクジ次第・・・。一兵士にとって、一人の国民にとっての戦争とは、いかに不条理なものであったのか。
 お国のためだからと、赤紙が届くと出征するしかなかった時代。兵士になったとたんに、シラミにまみれて掃除もしなくてはなりません。どこに行くのかもしれずに暗闇の海に船出しなくてはなりません。撃たれることが分かっていても突撃しなくてはなりません。それがどんな意味を持っているのか考えることも許されなかった時代・・・。「そうするしかないからそうしていた」のでしょうね。
 兵士ばかりが戦争をしているわけではありません。”万歳!万歳!”と見送って、ほんの数ヶ月で白木の箱を受け取る年寄りや女、子供。持っていき場のない怒りや悲しみを、みんなグッと飲み込んでいたのでしょうか。「自分ばかりではないのだから」と諦め、慰めて埋め合わせることができる程の喪失感ではないと思うのですが。
 NHKのTVドラマ「坂の上の雲」では、たくさんの兵士が命を落とすシーンが描かれていました。参謀たちにとって兵士はコマであり数であり、決して自分と同じ人間なのだという認識は捨て去られているようでした。一人一人の人生、それぞれに家族がいて、それぞれの事情があり、思いや願いがあるなどということを考えていたら、作戦など立てることはできません。たとえ味方の兵士の大半を失うことがあっても、この戦いに勝たなくては何の未来もないのだという見地から突撃を命じる。命令が出たら「そうするしかないから」兵士は突撃するわけですね。異議を唱えたり逆らったところで、「そうする」以上の結果は期待できないのですから。
 結局、ひとたび戦争が始まると、兵士になろうがなるまいが個人の存在は否定され、何分の1の存在としてクジ運に任せるしかないということです。そして、その結果がどんなものであろうとも引き受けるしかないのですね。

 「二度と戦争をしてはいけない。」

 こんな当たり前のことを、私たちはちゃんと語ることができるでしょうか。

 戦争を実感をもって語ることができる世代の人が高齢になった今、私たち”戦争を知らない大人たち”はどうすればよいのか。”何にも知らない子供たち”に、責任を持ってこの国の未来をバトンタッチするために今すべきことは何なのか。
 私たちがしっかりしていないから、98歳になった今も新藤監督が”反戦映画”を自ら作らなくてはならないのではないでしょうか。もっと伝えておかないと、私たちにはまだ任せられないと。

 いつまでも”戦争を知らない子供たち”などと歌っているわけにはいきません。

 この映画を観てもう一つ感じたことは、人間のしたたかさですね。
 人は簡単に死んでしまう弱い存在けれど、なかなか死なない強さも持っている。さすがは新藤監督。この悲劇的な物語をカラリと描いて、人間が本来持っている生き物としてのしたたかさを見せてくれます。これは、戦後の復興を体現してきた世代からの我々へのメッセージのように思いました。

 最後にキャスティングについて。
 大竹しのぶが素晴らしい演技を見せているのですが、どうもこの役には合わないという声がちらほらと聞こえてきます。そこで、誰ならもっと良いだろうかと考えてみました。木村多江なんかどうでしょうか。他に浮かびません・・・。

クリックをお願いします。
にほんブログ村 映画ブログへ  
スポンサーサイト












管理者にだけ表示

トラックバックURL↓
http://kiosk770.blog4.fc2.com/tb.php/372-5d2a7eb2

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。