青空侍のシネマ徒然日記

映画や音楽について、徒然なるままに・・・

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caterpillar2.jpg 「軍神様」なんだから・・・。

 この男は、自らの意思とは関係なく「軍神様」となりました。そして、この女は、自動的に「軍神様の(貞淑な)妻」となったのです。

 時代というものは簡単に”神”を作るんですね。とても身勝手に。

 ”神”であるということは・・・。

 それは、”己”というものを全否定されることかも知れません。この男の何処が”神”なのでしょうか。でも、そんなことは関係ないんです。あの時代の状況下では、”神”となってもらうことが都合がいいわけだから。

 扱いにくいですよ、あんな姿で帰ってきた兵士なんて。たたえそれが蛮行の末の姿であろうと、その姿を否定することなど出来ません。だから、”神”に祭り上げて奉っておくのが一番無難なんですよ。心の中ではどう思っていようが、自分達の生活を脅かされないようにするために、神様は拝んでおけばいいわけですから。とりあえず。

 戦争とは、そんなことも平気にしてしまうものだということでしょうか。

 「軍神様」なんだから・・・。それぞれの立場の人が発するこの言葉の意味は、それぞれに身勝手で無責任なものですね。そして、男と女は、この言葉の前にいよいよ”己”を失っていきます。

 あの時代において、「軍神様」がどのような存在であったのかは分かりようもありませんが、ある種の”権威”ではあったようですね。なにせ”神”ですから。

 ”権威”といえば、あの時代、男であることがひとつの”権威”だったようですね。だから、夫は妻に・・・。また、彼の国においては”日本兵”であることもひとつの”権威”で。だから、日本兵は彼の国の女性を・・・。この場合も、”己”は否定されているのでしょうか。もしかするとそうかも知れません。

 男と女。二人きりの生活で、あらゆる”権威”が剥がれていきます。もはや男は、男でも日本兵でもなく、”芋虫”の如き生き物としてのみ女の前に存在できるのです。そして、これこそが、男の”己”の剥き身なのでしょうね。食べて寝て求めて・・・。とても基本的な生き物としての日常。”軍神様”であることも、男は拒否します。

 女は、”芋虫”たる男と向き合い、自身もやがて剥き身たる”己”を見せ始めます。姿こそ変わりませんが、その生き様もまた”芋虫”の如しです。女と男の”権威”は逆転してしまいます。

 そして、結末・・・。
 
 食べる、寝る、交わる、食べる、寝る、交わる・・・・。戦火を遠く離れて淡々と積み重ねられていく日常。しかし、戦争は続いている。男と女の内と外で。

 ”権威”が時としてこの世の中を狂わせてしまいます。そして、人が神になる時代は、不幸だと思います。

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