青空侍のシネマ徒然日記

映画や音楽について、徒然なるままに・・・

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kuuki6.jpg ”人間”として生まれるということの意味を改めて考えさせてくれました。

 人間って、結局何なんでしょうね。

 空気人形が心を持ってしまい、どんどん”人間”的な物になっていく。すると、そのまわりにいる人間たちの、人間としての存在が危うくなり、壊れた、または失ってしまった部分が明確になっていく。

 もはや日本の人間たちは、人間であることに疲れてしまったようです。こんな世界で、心を持ち続けるなんて・・・。


 それでも”人間”としてやっていかなくてはならないわけだから、みんな何とかして体裁をとり繕って生きているわけですね。空気人形の主人(板尾創路)が心を持たない相手への一方的な愛でもって自己のバランスを保っているように。隣人たちも、それぞれの方法でもって何とか踏みとどまっています。それらは全て”人間”であり続けるための、哀しくて可笑しくて孤独な営みです。

 そうか、”人間”って、哀しくて可笑しくて孤独な存在だったんだ。

 空気人形の主人は、空気人形はあくまで空気人形であってくれと頼みます。そりゃそうです、心を持っている奴がどれ程やっかいなものか日々思い知らされているわけだから。空気人形は、あくまでも代用品。自分の都合だけで、そこにあって欲しいもの。

 でも、空気人形も一つの存在なのであって・・・。

 空気人形は心を持ったことで、とっても切ない思いを抱えます。それは”人間”であることの基本の一つなのですね。自分は所詮代用品、燃やせないゴミであることを自覚しつつ、愛する”人間”の息で満たされることの喜びも知り、少しでも”人間”に近づこうと可愛らしい努力を重ねます。その姿は素直で前向きです。それに比べて、人間たちの何とみっともないこと。そうか。みっともないことも・・・。

 空気人形と人間の境界線。もしかしたら、ファンデーションで消せるほどのものなのかもしれませんね。

 それにしてもペ・ドゥナはやっぱりいい女優だなぁとか、この素晴らしさを説明しにくい(説明すればするほど誤解されそうで)映画だなぁ・・・なんて考えつつ、今日もまた”人間”としての体裁をとり繕っている、燃えるゴミの一つなのであります。


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