
その後の大林映画については、正直なところ1作ごとに遠ざかっていきました。私と大林監督が描く世界との間に、埋めることの出来ない溝が広がっていったような気がします。その理由は・・・。
久しぶりに観た大林映画。映画少年の心をくすぐるような不思議な感覚は昔のままで、故郷に帰ってきたような感じにしばし身を任せていました。そして、やっぱり蘇ってきた違和感。「あぁ、またか・・・。」と、すこしガッカリ。
サービス過剰なんでしょうね。きっと。「映画ってこんな事も出来るんですよ」って、教えてあげたいんだと思うんです。「いいでしょう。一緒に楽しみましょう」って、語りかけたいんだと思うんです。観客のみんなに。
でも、それがやっかいなんですよ。もっと楽しみたいのに、もっと感じていたいのに、正直よく分からなくなるんです。「あぁ、また悪い癖が出てる」って、思ってしまうんです。
この作品も、もっとストレートに描いた方がきっともっと泣けたと思います。もうベタベタな話になっていただろうけど、分かりやすかったかと。まぁ、映画としての評価としてはどうなるのかは分からないんですけどね。
私は「さびしんぼう」が大好きです。「さびしんぼう」の後半が本当に大好きです。あの切なさ、愛おしさ。今思い出しても胸が締めつけられます。大林監督の真骨頂は、どこか懐かしく哀しく愛おしい画面作りにあると思うんです。これは誰にも真似が出来ない。尾道三部作がみんなに愛された理由も、その辺りにあると思います。私は「さびしんぼう」の後半、橘百合子さんの物語が映画にならないものかと、ずっと願っていました。
「その日のまえに」
久しぶりに大林監督の愛おしさ一杯の画面に再会できたように思います。物語も共感できる部分がたくさんありました。自分なら・・・と考えると、胸が締めつけられて思わず涙を流して・・・。でも、分かりにくかった。もっと分かりやすく語ってほしかったなぁ。シンプルに。
それが大林監督の私たち映画ファンに対する精一杯のサービスなんだとは思うのですが、優等生じゃない私にはちょっぴり高級すぎて「あぁ・・・、ちょっと無理かなぁ」と。
それでも、大林映画の感覚を少し取り戻したので、また見始めようかななんて思っています。久しぶりに、小林聡美さんと組んで楽しい映画を作って欲しいなぁ。樹木希林との親子復活!なんてのはどうでしょうか?期待しています。
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不思議な映画ですねぇ。北欧の色と言えばよいのでしょうか。霞がかかったような色調でフワフワとした映像。つかみ所のない人々の日常が淡々と、でも、ある種の緊張感を持って描かれています。「おもしろい!」とは思わないけど、画面からは目が離せない。理解しがたいけど、何か素敵な感じは伝わってくる・・・。
途中で”理解”することは断念しました。そして、”感じる”ことに専念しました。すると、とても心地よくなりました。
「好きか?」と聞かれれば、「嫌いじゃない。」としか答えられないような、とっても不思議な映画です。
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大恐慌時代のアメリカ中西部を舞台に・・・となると、「俺たちに明日はない」と重なります。乾いた荒野、生活に疲れた人々、刹那的な生き方・・・。いくつかの共通項がありますが、あの映画が”無軌道に時代を駆け抜けた男と女”を描いていたのに対して、この映画では”再生しようとしている家族”が描かれているように思います。これは、それぞれの映画が作られた時代のアメリカの気分といったものが反映しているのでしょうか。
言うまでもなく「俺たちに明日はない」はアメリカン・ニューシネマの幕開けを飾った記念碑的な作品ですが、「ペーパームーン」はニューシネマ時代の真っ只中にありながら同系列の作品としては位置づけられていません。(ピーター・ボクダノヴィッチ監督はニューシネマの一人と位置づけられているのですが・・・)やはり、ハッピーエンドだからでしょうね。1967年から1973年。この間にあったアメリカの変化。ベトナム戦争の終焉・・・ウォーターゲート事件・・・。
この頃のアメリカの人たちは、既成の価値観を破壊することにも飽き始め、そろそろかつての良心とささやかながらも幸せな日々を取り戻したいと願っていたのかもしれません。まだしばらくはニューシネマの時代が続きますが、この辺りから次第に未来志向の作品が増え始めてきているように思います。そして、ベトナム戦争を検証するにはまだまだ生々しくて、今しばらく時間が必要であったのだと思います。
ちなみにこの年のアカデミー作品賞は「スティング」です。やはり1930年代を描き、痛快などんでん返しのハッピーエンドが楽しかった作品です。時代はハッピーを求めていたんですよ、きっと。
このように考えると、この映画が公開されたとき、テイタム・オニールが見せた、実の父であるアイアン・オニールを喰ったような小生意気な演技が、どれ程の人々心をほぐし広々と解放させたか、想像に難くありません。みんな、アディのけなげな奮闘に拍手し、彼女の幸せを心から願ったのだと思います。
ラスト、荒野の彼方まで果てしなく続く一本道。アディとモーゼの旅もどこまでも続いていきます。それは見せかけの幸せ(ペーパームーン)ではない本物の幸せを見つける旅なのだと思います。2人の幸せを祈らずにはいられませんでした。
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とても面白かったです。これなら映画館で観ていても文句はなかったかな。でも、どうしても観に行く気になれなかった・・・。なぜ?
映画が公開される前にあれだけ監督がウロチョロされちゃぁ、観る前からお腹いっぱい状態で、だんだん気持ちが萎えていったというか、もうほとんど観た気分にさせられていたんですよねぇ。それも、ちょっぴり批判的に・・・。
さすが三谷監督。楽しませるツボは心得ているわけで、観て決して損はないのですが、あまりにもその仕掛けがミエミエなんですよね。無理矢理楽しませられているような気分になるところもあって、「どうです。ここ笑えるでしょ。」と、スクリーンの向こうでほくそ笑んでいる監督の顔が浮かんできてしまうんです。これまでのイメージを壊したかに見える佐藤浩市の演技でさえ計算尽くで(監督自身のコメントにもそうした意図がハッキリと表れていました)、そこらにも少し嫌気が・・・。
結局、この作品はあまりにも三谷幸喜的で、そこが売りなんでしょうけど、同時に最大の欠点だと思うんです。つまり、「ちょっと飽きたかな。」と。
でも、やっぱり面白いんですよ。家で家族とレンタルDVDで観るには最適かと。
次回作を期待しましょう。次は、アッと驚かせて下さい。古き良きハリウッド映画をなぞったような作品じゃない、「これがあの三谷作品か・・・」と、世間をおおいに裏切るような作品を期待したいと思います。
それと、監督が映画の宣伝しまくるのは、もうよしましょうね。
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この2作品に共通しているのは、決して美化することなく人間を描いているということと、その描き方があくまでも日本的であることだと思います。日常生活の中にある喜怒哀楽を、誇張することも矮小化することもなく、ありのままに描こうとする姿勢。その潔さと覚悟に、我々は心打たれるわけです。だって、なかなか出来ませんよ。何気ない日常の中で繰り返される些細な出来事を通して、普遍的な愛の物語を作るなんて。ドラマチックな展開を排除して、ドラマを作る。これは相当に練り込まれた台本、隙のない演出、計算を感じさせない完璧に計算された演技などがそろって初めて可能になる、まさに力業であると思います。
そしてこの2作品の相違点は、『ぐるりのこと。』がより意図的に人間を描こうとし『歩いても 歩いても』の方はもう少し引いたところから描こうとしているところだと思います。だから、前者は炙り出しているという印象になるのですが、後者は透けて見えるような印象になるのだと思います。
この作品で特筆すべきは、やはり樹木希林の演技ですね。彼女の放つ言葉の深さ。これは相当に考えられたセリフであると思うのですが、彼女だからこそその言葉が生きてくる。本当にドキッとします。そして、思わず笑ってしまいます。人生って本当に可笑しくて哀しいものなんだなぁとつくづく感じ入ってしまいます。
「歩いても 歩いても」なるほど、そこから来てるのか・・・。(笑)
他の役者もそれぞれに素晴らしい。みんながそこに生きています。映画を見ているなんてこと、忘れてしまいますよ。演技してないんだもの、この人達。(笑)
この映画を見て1週間、意図的に感想をまとめるのを避けていました。それは、この作品が私の中にどうのように入ってくるかを確かめたかったからです。入ってきますねぇ・・・ジワッと。そしてどんどん広がっています。いい映画なんですよ。間違いなく。
この作品でまた、是枝監督は私の中で今一番信頼できる監督であることを確認できました。
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「そうなんだよなぁ・・・。」とか、「夫婦っていいものなんですね・・・。」とか。もしかすると、「ちょっとエッチなところが・・・。」とか、「つばの場面が・・・。」とか、「長いなぁ・・・」なんてのもあるのかも。
どんな映画であっても映画を観るということは、観る人のそれまでの人生があって、観たときの状況があって、結果、その作品のどの部分に引っかかりこだわり考えるのかが決まってくるのではないでしょうか。
この映画の場合、特にそうした映画を観る前提としての観客の状態が評価を左右するのではないかと思いました。本来、観客が映画を選ぶものであると思うのですが、こうした作品の場合は、映画が観客を選ぶと・・・。
ちなみに私の場合は、「そうなんだよなぁ・・・。」と思いながら、スクリーンの中に自分を見つけながら観ていました。隣りに座って観ている連れ合いもきっとそうなのだろうなぁと思いつつ、「ほんとはどうなんだろう・・・。」などと気になりながら。(笑)
きちんと生きていくというのは、とっても面倒なことですね。きちんと夫婦をしていくなんてのも、実はなかなか大変なわけです。繋がっていると思うから夫婦でいられるわけなんだけど、恋人同士のようにその繋がりを常に確認して喜んでいるわけではないから、本当に繋がれているんだろうか・・・なんて、ふと不安になったり。いやいや、繋がり合っているんじゃなくて、ただ繋ぎ止められているだけなんじゃぁと恐ろしくなったり悲観したり(笑)。とにかく、なかなか大変なわけですね。
でも、そんなことをあれこれ考えながら日々の生活を紡いでいく。ちっちゃな喜怒哀楽をくり返しながら・・・。そこにこそ幸福がある。そう思えなきゃ、夫婦でなんかいられないのだと思います。
こんな風に思う観客である私にとって、この映画は実に良くできていると思うわけです。冒頭にも書いたように、まさに夫婦の日々を炙り出していると思います。男と女、一人一人の人間として日々。その思い。「そうなんだよなぁ・・・。」と。
「ハッシュ!」の時も驚いたのですが、橋口亮輔監督は本当にきちんと映画を撮っていますね。自分が描こうとしているものに対して、どこまでも真剣に向き合っていると感じます。だから、少々非日常的な設定にも説得力があり、下手をすると下品になってしまいかねない場面なんかも笑えてしまう。それは、我々人間の本質を描いているからなんでしょうね。観ていて自分の中の奥深い部分が共鳴しているように感じました。
でも、きちんと撮ることはきっと大変なことだと思います。頑張れば頑張るほど翔子のようにバランスを崩してしまうかも・・・。「ハッシュ!」から6年。監督の日々もきっと大変だったんだろうなぁ・・・・。
木村多江とリリー・フランキーというキャスティングも絶妙でした。また、ちょい役に次々と出てくる個性的な役者達の演技が楽しくて、この監督の映画に出たいとみんな集まってきたのかなぁなんて、一人納得しながら観ていました。そして、そんな中でも片岡礼子が抜群でしたね。この作品で再会できたことが本当に嬉しかったです。
この映画も含めて、2008年は、邦画がとても充実した年だったんだと再認識しました。
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