青空侍のシネマ徒然日記

映画や音楽について、徒然なるままに・・・

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 中学生の頃、♪「『いちご白書』をもう一度」という曲がヒットしました。バンバンの歌です。

 あの頃、歌詞の内容については十分に理解できていなかったと思います。ただ、「就職が決まって髪を切って来たときに、もう若くないさと君に言い訳したね」というフレーズが、妙に心に残っていました。大人になるのはそういうことか・・・なんて。

 「いつか君と行った映画がまた来る、授業を抜け出して二人で出かけた」
 この歌い出しは素晴らしいですね。この歌の世界が一気に広がります。大学生活に憧れたものです。大学に行ったら彼女ができて、映画に行くんだ・・・。(笑)
 
 「君も見るだろうか『いちご白書』を、二人だけのメモリーどこかでもう一度」
 こんな風にふと振り返る映画が誰しもあると思います。その映画を見たときのさまざまな思い出とともに、キューンと突き上げて来る感傷。思い出は、映画とともに・・・。でも、うかつに思い出を語っては行けません。思い出はいつしか美化され、適当に都合よく編集されているからです。一緒に見た相手だって、思い出の通りであるとは限りませんから。(笑)
 ※この歌が流行ったとき、メモリーを「思い出」と訳すことができず、何故かずっと主人公の名前なんかなぁ・・・と思い込んでいました。(笑)♪「学生街の喫茶店」でも「学生でにぎやかなこの店の、片隅で聞いていたボブ・ディラン」のボブ・ディランも曲のタイトルと思っていたりして・・・。(苦笑)

 この曲を作ったのは荒井由美(松任谷由美)なんですよね。さすがというか、誰も真似できません。

 ということで、見ていないのにも関わらず強烈な印象が残っている映画『いちご白書』を、その存在を知って35年経った今、ようやく見ました。いやぁ、こんな映画だったんですね。

 1968年コロンビア大学での学園紛争を題材にした1970年の青春映画。その頃(1968年 - 1970年)の日本も全共闘運動大学紛争の時代だったので、きっとこの映画も若者たちに歓迎されたのでしょうね。私は小学生だったのでその辺りがよく分からないのですが。その後、歌に取り上げられる程なのだから、この時代に学生であった人たちにとっては、特別な作品であったのでは?と想像してします。

 映画は、平凡な生活を送っていた学生がいかにして学園紛争に巻き込まれていくかという内容のように思います。巻き込まれるというのは適当でないかもしれませんね。興味本位で近づいて、そこでの体験を重ねるうちに気がつけば渦中にいた・・・という感じでしょうか。きっかけが、バリケードないで見かけた可愛い女の子というところが、妙に納得できました。たぶん、ほとんどがそうした何気ないことから始まっているのでしょうね。そして、いつの間にか引き返せないところまで行ってしまうという・・・。連合赤軍の人たちも、そのスタートは案外そうしたものであったのかもしれないなぁなんて考えました。

 ドラマは、今となってはそれ程のインパクトもないのですが、衝撃的なのはカメラワークです。もう、グルグル回ります。(笑)これは見た人でないと理解してもらえないと思いますが、とにかくグルグル回るんです。そして、押したり引いたり、上から下から、逆光だってなんのその、とにかく酔っぱらってしまいそうなほどあらゆるアングルから撮影されるんですねぇ。もう、ビックリです。
 でも、この撮り方、何か懐かしいなぁ・・・なんて考えていると、ふと思い出したのがTV「俺たちの旅」です。あのドラマの撮り方も独特なものがありましたが、きっとこの映画の影響を受けているように思います。この映画ほどグルグルは回りませんが。(笑)あの時代の撮り方が、こうしたものであったのかもしれませんが、学園紛争にゆれる若者たちの心情を描くのにはとても合っていたように思います。

 ショックを受けるほどの作品ではありませんでしたが、あの歌が流行っていた頃の自分を振り返りながらの鑑賞は、ちょっぴり感傷的でもあり、なかなか楽しい時間でした。

 私としては、「『いちご白書』をもう一度」 が好きだといっていたあのクラスメイトをもう一度・・・なんですけどね、実は。(笑)

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 “ハンガリー動乱”と“メルボルンの流血戦”というふたつの史実。私たちにとってはあまり馴染みのないものですが、こうして映画を通して人類の歩んできた道、人間の犯してきた間違いを知るということも映画ファンの喜びの一つであると思います。

 私が生まれる数年前の欧州では、このような悲劇があったのですね。そしてその暗い影は、私が青年になるまで続いていきます。東欧諸国についての印象といえば、オリンピックでやたら強い・・・、しかし、選手たちの表情にはどこか陰があって、地味で、あまり好きになれない、といったものでした。あの、ルーマニアのコマネチでさえ、妖精のような可愛らしさとともに近寄りがたい負のオーラを感じたものです。明らかにアメリカを中心とした西側諸国とは違う雰囲気を醸し出していた東欧諸国の選手団。いったい、その背景にどんな悲劇があるのかなど深く考えることなく、東側に生まれなくてよかったと単純に考えていた東西冷戦時代でした。

 冷静に考えると、東側諸国の人々がソビエトの支配を喜んで受け入れていたはずもなく、また、ソビエトの国民であってもKGBによりる監視社会を甘受していたわけがないのであって、無表情の向こうの語るに語れない悲しい歴史をもっと知ろうとしなければならなかったのですね。

 最近、世界が何かまた変な感じになってきていますね。

 この映画に描かれていることは、決して過去の出来事として片づけられるものではなく、決して遠い国の出来事と無視してよいものではありません。そういう意味で、歴史的な出来事をこのような形で伝え残してくれることはとてもありがたいと思います。そうしたこともまた、映画の使命のひとつであるとも思いますし。

 いっぽう、映画としてはどうであったのか?ということも論じなくてはなりませんね。

 う~ん。人間を描くという部分で少し消化不良かな。主人公の二人の出会いと別れがもう一つ共感できない・・・。なぜ二人は惹かれ合い、結ばれたのか。そこがもっとしっかりと描かれていれば、このドラマの持つ意味がもっと深く伝わってきたと思うのですが。

 史実と重ねてわかりやすく描くためには仕方がなかったのかもしれませんが、どうしてもダイジェスト的な物語になっていました。予習しておけばもっと共感できたかも・・・。まぁ、これはこうした映画の宿命ですかね。

 見終えたときの感動はそこそこ大きいのですが、しばらくするとあまり心に残っていないかな・・・ということに気づきました。これは、問題ですね。中途半端にメロドラマにしたことがいけなかったのかなぁ・・・。惜しいなぁ。

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 企画・製作総指揮&主演が長嶋一茂ということで、試写会に長嶋茂雄監督が来たとか・・・、話題が先行した感のある作品です。その分、作品が正当に評価されなかったのではないでしょうか。こういうのは、もったいないですね。

 私も、上記のような理由で避けていたのですが、「幸福な食卓」からの北乃きいつながりで観ることにしました。

 作品は一言で言えばとってもベタですね。驚くような展開はないのですが、感動させる要素はてんこ盛り・・・みたいな。でも、これがあまり気にならないんですね。とてもバランスよく、くどくなく、心地よく描かれています。その分物足りないという感想も生まれるでしょうが、これ以上くどく演出されると、きっと失敗していたと思います。

 長嶋一茂の演技については、「こんなもんでしょう」ということにしておきましょう。これが本業でないわけですし、それよりも、企画から制作までよくぞやり遂げたということを評価すべきだと思います。

 北乃きいはやはり良かったです。同年代の女優と比べると、安定感がありますね。彼女が今後どのように成長してくれるか・・・。大きな期待と少しの不安をもって、注目していきたいと思います。

 この映画を酷評している方もおいでですが、結局、この映画に何を期待するかだと思います。ハラハラもドキドキもありません。善人たちが善人ゆえに悩み、誤解し、衝突し、理解し合い、和解する。優しい人々と美しい景色。日本ていいなって思えたりして・・・。休日の午後、のんびりと観るには最適ではないでしょうか。

 この映画、全然、悪くない。
 大変よくできました。

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 高3の夏は、ひたすら受験勉強の日々であったように思います。ギリギリまで自分を追いつめながら、何とか未来への突破口を探っていました。そして、冬から春にかけては、受験と別れが・・・。なんか、不安定でしたねぇ。テストの結果に一喜一憂し、昨日の強気は一夜にして弱気になり、友人たちとの会話もかみ合わず、内向的になり、ストイックになり、ヒステリックに・・・。ふと、周りを見渡していても、クラスメイトも同じような表情をしてました。まさに灰色の日々。しかし、不思議と嫌じゃなかったあの感じ。とりあえず為すべきことがあるという充実感ゆえでしょうか。
 あのころ、この映画のような恋心を抱いていただろうか・・・?きっと、胸の奥深くに封印していたのでしょうね。誰にも恋していないなんてことは考えられません。(笑)でも、グッとこらえて、自分の中の奥深いところでどんどん純化させて、とってもピュアな思いをふくらませていたように思います。

 この映画、ふたつの物語があります。秋元(榮倉奈々)の物語と、白田(谷村美月 )の物語。
 私は、白田の物語に共感しました。彼女の揺れ動く思いがとてもよく伝わってきました。谷村美月の佇まいが、白田の抱えている様々な矛盾をとてもよく表していたように思います。そうですよね、あのころ、つまり”檸檬のころ”は矛盾に充ちています。大人になるっていうことは、その矛盾がとりあえず解消されるということでしょうか。でも、新たな矛盾を抱えるんですけどね。大人の事情というか・・・。
 
 それに対して、秋元の心情がもう一つ分かりにくかったように思います。彼女が好きなのは佐々木君?西君?彼女はどうして東京へ行くの?この映画での榮倉奈々は、今まで見た中では一番良かったですが、それにしても表情が乏しすぎるように思います。谷村美月と比べるとその違いは歴然で、可哀相になるほどです。でも、これは彼女だけの責任ではなく、秋元という女性の心理を作り手がもっと明確に意識しておかなくては成らなかったのではないでしょうか。秋元の痛みが全く伝わってこなかったのはとても残念です。

 それは、男性陣にも言えることで、佐々木(柄本佑 )も西(石田法嗣 )も、煮え切らない男にしか見えませんでした。何故この二人に秋元が思いを寄せたのか・・・、その辺りの説得力がありません。それに対して、辻本(林直次郎)の演技は決して上手ではありませんでしたが、この役をするには十分な存在感があり、白田の思いを納得させることに成功していたと思います。いきなりギターの達人となって歌いまくられたのには苦笑を禁じ得ませんでしたが。(笑)

 それにしても、この映画が青春映画の秀作となり得たのは、原作の魅力であるだろうし、谷村美月の突き抜けた演技があったからだろうと思います。彼女は本当に魅力的な女優ですね。

 脚本とキャスティングを少々見直せば傑作になるかもしれなかった、そういう意味でとても残念な映画です。う~ん、惜しい!

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