青空侍のシネマ徒然日記

映画や音楽について、徒然なるままに・・・

milk2.jpg マイケル・ジャクソンが死にました。享年50(歳)。早すぎる死とともにあまりにも寂しい最期に、悲しいという言葉では表現しきれない複雑な思いがこみ上げてきました。マイケルの生涯はいったい何だったのか。最高の成功を収め、富も名声も手に入れたとき、一人の人間として彼が求めたものは・・・。
 黒人のミュージシャンとしてこれほどまでの成功を収めた人を私は知りません。他のジャンルに目を向けても、同様のことが言えるのではないかと思います。それ程、彼の存在は特別でした。彼の音楽は人種も宗教も時代さえも超越しているように感じられました。マイケルが歌い踊るとき、世界は一つになれるかも・・・、それが彼の音楽でした。
 しかし、彼は黒人であることを自ら否定しました。どんどんと脱色されていく肌。とがった鼻。ふたつに割れた顎・・・。全てを手に入れたとき、彼が求めたことが白人になることだったとは。そんな彼を世界中の人たちはどう見ていたでしょうか。特に、同じ肌の色を持つ人たちは。私は吐き気がしました。彼の音楽は永遠ですが、彼のこの愚行は、どうしても受け入れられるものではなかった。
 マイケルの死にあたって思うことは、彼もこの時代の犠牲者であったということです。黒人であることが今の世の中のような価値観で捉えられるものでなかったとしたら、このような彼の死はなかったはずです。もっともっと素晴らしい音楽が生まれ、彼とともに私たちはもっと幸せになれたかもしれない。そう考えると、残念でなりません。

 マイケルの死の翌日、この映画を見ました。

 ハーヴィー・ミルク。享年48(歳)。1970年代のアメリカにおいて、同性愛者であることを告白し、初めて公職に就いた男。同性愛者ばかりではなく、有色人種、労働者、高齢者など社会の底辺にあるマイノリティーのために立ち上がり、時代を切り拓いた男。
 私は、ハーヴィー・ミルクのことを、その名前すら知りませんでした。ラジオから流れてきた「ベンのテーマ」を聞いてマイケルを知り、映画に目覚め、アメリカに憧れていたあの頃、彼はマイノリティのために闘い、人々に希望を与え、社会を変革し、凶弾に倒れていたのでした。サンフランシスコで行われるゲイの行進を報じるニュースを面白可笑しく見ていた記憶はあるのですが、その中心に彼がいたことなど知る由もなく・・・。
 
 キング牧師のことは知っていました。でも、ミルクのことは知らなかった。この違いは何か。ここで、それを論じることはおいておきましょう、ただ、2人の残した功績に、それ程の違いがあると私は思いません。ともにマイノリティーの人権確立に生涯を捧げたのです。

 ここで、気をつけたいことは、キング牧師やミルクが私たちの社会に新しい光を与えたのが、ともに私が生まれて以降のことであるということです。つまり、この50年の間に、人類はその長い歴史で犯してきた間違いに気づき、新たな歴史を作ってきたわけです。50年前に、誰が今のような社会を想像できたか。そして、そんな時代を私たちは生きている。この事を忘れてはいけません。私たちが享受している自由も人権も、彼ら先人の命をかけた闘いがあったからなのです。そしてもうひとつ忘れてはならないことは、まだまだ十分ではないということと、世界には光が当てられていない闇がたくさんあるということです。そこに光を誰が当てるのか。当て続けるのか。我々に残された大きな宿題です。

 私が人類に絶望しない理由。

 それは、我々は確実に進歩しているということです。人類の歴史は、人権確立の歴史であると思います。その過程で流された血と涙。様々な犠牲の上に私たちの人権は成り立っているのです。人権は与えられるものではなく自ら獲得するものである。希望を捨てない者にこそ、それは許される・・・。キング牧師やミルク、その他数々の先人たちがそのことを教えてくれています。

 マイケルが手にしようとしていたものは何か。「We Are The World」で、彼が全世界に発信したメッセージを思うとき、彼もまたミルクたちと並び称せられる偉大な人物であると思います。それだけに、彼の寂しい死は許せない何かを感じます。何かが狂ってしまったとしか、言いようがありません。

 マイケル、50歳。ミルク、48歳。

 2人の生涯を我が身と重ね合わせたとき、我が人生とは・・・と、考えずに入られません。もう一度、自分の生きる意味について、少しばかり考えてみたいと思います。そんな気持ちを思い出させてくれたこの「ミルク」という映画は、私にとってとても重要な作品となりました。

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friendsdvd とうとう観てしまいました。
 少年時代に初めて観たときの強烈な体験は、40年近くの歳月を経て純化され、増幅し、もはや私自身の一部として血となり肉と化したかのような気もします。この映画こそが、我が恋愛の原体験として、その後の恋愛観に最も影響を与えた作品かもしれません。理想の女性像にしても、どこかにアニセ・アルビナの面影を追ってきたような・・・。そんな人、私の他にもいるのではないでしょうか?同世代の人なら、絶対にいると思います。「いやいや、トレシー・ハイドでしょ。」「絶対オリビア・ハッセーだ。」と言う人と同じくらいに(笑)。

 あの頃「小さな恋のメロディー」が大ヒットした記憶があります。大人社会に抵抗する子どもたちの可愛らしい奮闘ぶり。ビージーズが歌った「メロディーフェア」の美しい調べとトレシー・ハイドの愛らしさ。マーク・レスターの絵に描いたような美少年ぶりとジャック・ワイルドの悪ガキぶりが、当時の日本の少年少女の心を鷲掴みにしたものです。でも、私にはつまらなかった・・・。トレシー・ハイドも好みじゃなかったし(笑)。(この映画、英国と米国ではヒットしなかったようです。)

 同じ年に公開されたのが、「フレンズ〜ポールとミシェル〜」。14歳の少女と15歳の少年の恋愛と出産というショッキングな内容は、先の「小さな恋のメロディー」とは違って家族と一緒に観ることは出来ない、当時の少年たちにとっては少しばかり罪の意識を感じさせるものでした。(当時はみんな純情だったんです。)
 しかし、主演のアニセ・アルビナの圧倒的な魅力と美しい映像、エルトン・ジョンのテーマ曲。そして、可愛らしくも純粋でひたむきな2人の愛の物語に世界中の人々が共感し、こちらは世界的な大ヒットをしています。それは、少年少女の恋愛(性)は古今東西における普遍的なテーマであるにもかかわらずまだまだタブー視されていた時代にあって、それを真っ正面から描ききったからである思うのです。私は、密かに、そして熱狂的にそれを歓迎したのでした。(笑)

 ところが、この作品はその後長く闇に葬られてしまいます。つまらない作品がどんどんDVD化されていく中で、まるで忘れ去られたかのようにビデオでさえ手に入らなくなっていました。内容が問題なのか・・・。いや、問題となるような作品ではないはずだ・・・。一部の支持者(私も含めて)がネットの各所でその現状を憂い、DVD化を訴えること数年、ついに昨年の春にDVDが発売されます。この時の喜び!興奮!(笑)同じ思いを抱いた人々が全国にどれ程いたことか。

 DVDを手にして1年。いつ観ようかとずっと思いながら、その時を先延ばししてきました。理由は?・・・あまりにも自分の中で膨らみすぎた思いが、却ってブレーキをかけていたのでしょうか。ガッカリするのが怖かったんでしょうね。

 そして、・・・。

 やっぱり、素晴らしかった。

 この映画は、私の核心的な部分の重要な一部となっていたことを、改めて確信しました。「フレンズ」との出会いがなければ、私の人生は違ったものになっていたかもしれない、いや、なっていたと思います。映画の力はすごいですね。

 現代の若者が観て、私(たち)と同じような思いを抱くことはないと思います。でも、あの時代にこの作品が作られたことは、映画史上とても重要な出来事であったことは疑う余地もありません。このような作品を考えるとき、「映画とは時代とは切り離せないものである」とつくづく思います。

 自分の人生を創ってくれた映画。そんな映画との再会は嬉しいものです。これからも、この映画を大切にしたいと思います。

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manatu1.jpg  潜水艦を題材にした映画には「眼下の敵」という名作がありますが、どうもあの作品を意識して作られたようですね。でも、それにしては少し甘いかなぁ・・・。それなりに”おもしろく”は作られているのですが・・・。

 艦長同士が繰り広げる知恵比べの攻防もやや緊張感に欠けるし、玉木宏が演じているイ−77の艦長・倉本孝行の描き方も表面的で、なぜあのような作戦をとり命令を下したのか(特に「回天」に対する下り)ということの説得力に欠けるように思えました。その辺りが非常に残念です。これは米海軍駆逐艦パーシバルの艦長マイク・スチュワートについても同様で、設定では、米海軍きっての歴戦の勇士であり、日本軍の人間魚雷「回天」の攻撃で弟を失くしたことで、さらなる闘志を漲らせていた・・・ということですが、そこらが全く伝わってこないので、どうして命令を無視してまでイ−77にこだわるのかということが理解できません。
 だから、2人が死闘を通してある種の尊敬の念を敵将に対して抱く・・・といった展開に納得できないし(そのように描いていないかもしれないが)、感動のしどころを見失ってしまうわけです。誰にも感情移入出来ないんですよね。
 
 日本の戦争映画の場合どうして”恋物語”(もしくは”家族”)が添えられるのでしょうか。登場人物の背景を描くためなのかもしれませんが、それにしてはあまりにも安易な方法で、ほとんどの戦争映画の場合に失敗の原因になっているように思います。これが、戦争を時代背景とした恋愛映画だというのなら納得もできますが、泣かせるための演出であったり、客を集めるための手段であったり・・・と、ドラマの本筋とは関係ない”添え物”なんですよね。結局。日常を描くことで非日常である”戦争”というものを際立たせたいという意図があるのであれば、「ジョニーは戦場へ行った」とか「ディア・ハンター」くらいの覚悟を持って描いて欲しいと思います。
 今回も、「あぁ、またやってくれたなぁ・・・。」とちょっとしらけてしまいました。「出口のない海」を観たときも全く同じ感想を持ったものです。
 
 ラストをあのように描いたことで、あぁ、これは”お伽噺”だったんだなぁと思いました。また、現代の日本においては、このような戦争映画が受けるのかなぁとも。苦しくないし傷つかないしカッコいいし、スカッとするし・・・。でも、この映画を観た後に「夕凪の街 桜の国」をもし観たならば、戦争を描くこととはどういうことなのかということを深く考えずにいられなくなると思います。

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junkissa2.jpg
 日本映画が得意とするジャンルに”人情喜劇”なるものがあったと思います。「男はつらいよ」シリーズなどがその代表格でしょうけど、市井の名もなき人たちの日常を涙と笑いで綴ってくれた名作を、映画やドラマ、そして舞台でもたくさん思い出します。私たちは、そうした作品から教科書では決して教えてくれない人としての大切なことを学んできました。

 「純喫茶磯辺」

 ”何もすることのない日曜の午後の暇つぶしにピッタリな作品”というぐらいの認識で見始めたのですが、これが意外にもとっても上質の”人情喜劇”に仕上がっていました。ビックリです。

 ダメな親父としっかり者の娘。母は家を出て新しい家庭を・・・。ぐうたらな親父はどこか現実離れしていて夢見がち。死んだ父親の遺産でもって・・・。かつての松竹新喜劇なんかを連想させる筋立てに、宮迫博之、仲里依紗、麻生久美子、濱田マリ等の絶妙の配役で、気持ちよく笑いちょっぴりしんみりさせてくれます。見終えた後の爽快感は、「こうでなくっちゃ!」と拍手したいほどでした。

 決して大作ではありません。何かのメッセージを持った問題作でもありません。観たからといって何がどう変わるといったものは皆無だと思います。でも、こんな映画がある日常というのは、とても素晴らしいと思います。私たちを育ててくれたのは、こんな可愛らしい映画だったような気もするのです。

 とってもいいですよ。是非見て下さい。じんせいが、ちょっぴり楽しくなること請け合いです。

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rookies1.jpg この映画は、満員の客席でたくさんの人たちと一緒に観るといいですね。一人で見る作品じゃないと思います。スクリーンから伝わってくる真っ直ぐなメッセージを真正面からしっかりと受け止めるためには、私たちもそれなりの構えがいるのではないかと思うのです。

 つっこみ所一杯ですね(笑)。でも、この作品に限って言えば、そんなこと無意味に思えます。小細工していない相手にあれこれ言うよりも、作品に込められた思いがどれ程のものか・・・、それだけで十分です。

 私は十分に楽しめました。笑いました。手に汗握りました。涙があふれてきました。そして、とても嬉しくなりました。

 私は”青春ドラマ”が大好きです。「3年B組金八先生」より前の”青春ドラマ”大好きです。中でも、仲間と共に汗を流すことの尊さを、夢に向かってがむしゃらになることの素晴らしさを単純に教えてくれる”スポ魂”ものが大好きです。先生が説教するのではなく、生徒たちとともに笑い泣き成長する姿に心を打たれます。そんな、真っ直ぐな”青春ドラマ”の復活を、長い間心待ちにしていました。

 このドラマが放映された時、他のドラマとは違う何かを感じました。爆発寸前のマグマのような、何かとてつもないエネルギーが伝わってきたのです。出演者一人一人が発する、他とは違った気配の正体が、その時には分からなかったのですが、この作品に寄せる絶対的な愛情だったのかと今になって思います。そして、そうした思いが一つになって、映画としてついに爆発したんですね。

 出演者たちがいいです。この作品を、自分自身の役を心から愛していることが伝わってきます。だから、どのカットを観ても嬉しくなるんでしょうね。

 演出は、無駄なところはカットして、ここぞという場面は思い入れたっぷりにといった感じでしょうか。こうしたところに異論も出てくるでしょうが、私には心地よかったです。何度か挿入された上空からのカットがとても効果的でした。

 所詮TVドラマと侮る事なかれ。満員の客席の3割ほどは、少年少女たちでした。彼らが映画館に足を運び、共に笑い泣き感動した経験は、きっとこれからの世の中を変える某かの力になるのです。かつて私が「レッツ・ビギン!とにかく何かを始めよう」とか、「涙は心の汗だ」といった言葉に励まされたように、「夢にときめけ、明日にきらめけ」が彼ら未来を創っていくのかもしれません。

 この映画はみんなで観て欲しいですね。そうすることで何倍も楽しめる作品です。映画館で映画を観るということは、そういう意味があるということもこの作品が教えてくれました。

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tumi1.jpg 面白かったです。よく練られた脚本に、個性豊かな役者達。しっぽの先まであんこの詰まった鯛焼きのように、最後の最後まで楽しませてくれます。「アフタースクール」程ではないけれど、どんでん返しの面白さもタップリ味あわせてくれました。

 でも、突き抜けていないなぁ・・・。

 傑作になる要素を持った作品はたくさんあるけれど、本当の傑作になるのはほんの一部なわけで、それにはスカッと突き抜けているかどうかが重要なポイントになると思うのです。

 無駄がない。無理がない。そして不足がない。全てのものが最初からそこにあることが決められていたように、ピッタリとはまっている。これが、名作と呼ばれている作品全てに共通している一つの条件だと思います。

 ということで、この作品は残念ながら傑作にはなれなかったと思います。まだまだ無駄と無理と不足がある・・・。それは、成海璃子を主役に据えたことから生じた無理だったのかもしれませんし、監督好みの役者達をずらっと並べたことから生じた無駄だったかもしれません。そして、作品全体をキリッと引き締める何かが足りなかったかも。

 とはいえ、成海璃子は久しぶりに良かったと思います。「あしたの私の作り方」の時は、いったいどんな女優に成長するのかと大いに期待したものですが、TV「ハチミツとクローバー」で間違った路線に変更してdocomoのあのCMですから。ここ最近は全く輝きを失っていたように思います。それに、ドンドン立派な身体に成長してしまって・・・松坂慶子になるのかと(笑)。この作品でも、やっぱり不安定な部分が見受けられましたが、コメディエンヌとしての可能性も発見できたところもあって、これからがまた楽しみになってきました。もう、フワフワしたキャラは捨てた方がいいですね。そのためには先ずあの髪の毛をどうにかしましょう。そして、ちょっとシェィプアップ!

 最後に一言。不覚にも作品半ばで居眠りをしてしまいました・・・。それが私の体調のせいなのか作品の出来によるものなのか。それは観た方にご判断いただきましょう。

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gran1.jpg 私が物心ついた頃に、クリント・イーストウッドはすでに銀幕の大スターであり、(ちょっとダーティーな)ヒーローでした。「荒野の用心棒」「夕陽のガンマン」等のマカロニ・ウエスタン。「ダーティーハリー」シリーズ。私が映画に夢中になり始めた頃の作品「ガントレット」。その後、監督としての評価を高めていった「ミスティック・リバー」「ミリオンダラー・ベイビー」等の数々の名作。最近では、やはり「硫黄島からの手紙」が印象深いですね。TVのロードショー番組で山田康雄さん(イーストウッドの声優はこの人!)の声で観ていた少年時代から現在に至るまで、これほどまでに長く、世界中の人たちを楽しませ尊敬されている役者は、現役では彼をおいていないのではないでしょうか。彼こそ生きる伝説であり、永遠のヒーローだと思います。

 そんなイーストウッドの新作が、これまでの彼自身の作品の中で最高の興収と評価を得ているというのだからすごいですね。これが俳優としての引退作だという話もありますが、この映画を見る限り、まだまだ、現役です。もっともっと役者としてのイーストウッドが観たいと思いました。

 物語は、朝鮮戦争に従軍し、退役後は自動車工として働き、2人の子供を育て、妻に先立たれた頑固で偏狭な男と、隣りに引っ越してきたモン族(ラオス)の家族との出会いと別れということになるのでしょうか。

 アメリカの中西部の街では、いろんなルーツを持つ白人・黒人・ヒスパニック・アジア系といったあらゆる人種の人たちが、それぞれのテリトリーを守りつつ対立しながら暮らしています。アメリカの現実なのかもしれませんが、偏見に充ちた差別的な空気が充満していて、これでは銃を持たずには生きていけないのかなぁ・・・と考えてしまいました。

 イーストウッド演じるコワルスキーもポーランド系の白人であり、有色人種に対する偏見に充ちた頑固な爺さんといった感じです。さらには、偏狭な性格から息子たち家族からも疎んじられ、妻亡きあとビールと愛犬しか愛せない孤独な老人です。ただ、やたら強い。若くはありませんから腕力で・・・というのではなく、自己の正義感に対する絶対的な信念というか、とにかくブレません。そこが嫌われるところでもあり、最大の魅力でもあるわけですが。

 コワルスキーの言葉はとても辛辣です。そして、とても差別的です。この年代のアメリカ人(白人)の一般的な姿なのでしょうか、一点の曇りもなくモン族の人たちを馬鹿にしています。虫けらを見るが如くにです。あまりに堂々としたその姿に、腹も立ちませんでした。(笑)

 でも、腹が立たなかったのはやはり理由があったのです。それは、アジア系の人たちなどマイノリティーに対して注ぐ、監督イーストウッドの眼差しが、あくまで優しいのです。コワルスキーがモン族の姉弟との交流を通して変容していく様は、”我々は間違っていたのではないか・・・”という、同世代の白人に対するメッセージのようにも見て取れました。イーストウッド監督の弱者に対する眼差しは、とても優しい。これこそが、彼の信念なのでしょうね。

 そして、ラスト。

 いいですねぇ。ジワーッと涙があふれてきました。

 本当の強さとは何か。本当の優しさとは・・・。真のヒーローを演じ、描き続けてきたクリント・イーストウッドが、彼の映画人生で辿り着いた結論がこれなのかと思いました。

 そうですよね。この結末しか、考えられません。

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halfway1.jpg 多くの人が指摘しているとおり、いわゆる映画として不完全な部分がたくさんあると思います。たとえば、手ブレがひどくて見づらい画面。そして全体的に少し暗すぎましたね。所々で???となる、ぶつ切りのような編集。など・・・。

 でも、そうしたことを差し引いてもあまりあるほどの魅力に充ちた作品だと思いました。それはやはり、主演2人の素晴らしい演技・・・じゃなくて(あれは演技とは言えないんじゃないか)存在感だと思います。

 大学受験を控えた高校3年生の冬。逃げ出したいようなプレッシャーと孤独感。クラスメイトとも、これまでにない距離を感じたり、だからこそ人恋しくて密かに誰かを支えにしたり・・・。そんな時に告白。そんな時なのに告白。いや、そんな時だからこその告白。

 そして、もう一つのテーマは、地方と都会。大学進学は、地方の高校生にとっては、人生の大きな転換点になるわけです。都会から地方へという流れもあるだろうけど、地方から都会への若者の流れの方が圧倒的に多いわけで、地方で生まれたものにとっての高校卒業は、故郷を後にする一大転換期なのです。

 故郷に残るか、旅立つか・・・。それぞれに大きな決断をするわけで、そこには自ずとさまざまな別れがつきものなんですね。ちなみに私は故郷に残り、私の友人たちのほとんどは、大きな夢を抱いて都会へと旅立っていきました。あの時のことを思い出すと、今も胸が苦しくなります。

 取り残される・・・・。

 北乃きいが演じた女の子が「東京へ行って欲しくないです。」と言ったとき、”なんてわがままがことを・・・”と感じた人も多いと思うのですが、田舎に取り残されるのは、それはそれは切ないことなんですよね。「木綿のハンカチーフ」なんですよ。(笑)

 何が描きたかったのかよく分からないという指摘があります。物語としては本当に言葉足らずですね。でも、高校生活を終えるあの頃の気分を見事にすくいとっているように思います。画面の手ブレも暗さも、ぶつ切り編集でさえも、そうした不安定な時代の感情を描くためには一つの手法でもあるのかな・・・なんて納得したりもして。

 脚本家として物語作りのプロが、あえてこのように物語性を排除したかのような作品を作ったということは、これまでのようなドラマ作りでは描くことの出来ない、ある種の感情をクローズアップしたものが作りたかったということではないのかななんて思います。まぁ、それには異論もきっと出てくるでしょうが、それでもいいじゃないかと。

 でも、今度撮るときは、しっかりとしたドラマのある映画にして欲しいなぁ。せっかくの才能を活かせて欲しいし。

 私はこの映画が好きです。とても愛おしい。

 今しか撮ることが出来ない、北乃きいと岡田将生の最高の瞬間を、これほどまで素敵にスクリーンに焼き付けてくれたことに感謝したいほどです。そういう意味で、アドリブに任せた演出は大正解だったと思います。

 salyuの主題歌も良かった。

 もっとみんなに観て欲しいなぁ。あまり難しく考えず、あの頃の気分に浸るつもりで。

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 4月1日から、新しい生活を始めています。といっても、職場が変わっただけなのですが、これがなかなか大変で、机の上のもの一つを動かすだけでも、周囲を伺い、「これ、いいですか?」なんて聞いたりして・・・。でも、こうしたこともなかなか面白いもので、案外そんなギクシャクした感じを楽しんでいます。
 仕事の内容はシビアなものなのでそれなりに緊張しているのですが、まぁ、マイペースで何とかやっていけるかなと、深刻には考えていません。

 こうした環境の変化で、知らず知らずのうちにストレスがたまっていると思うんです。だから、こんな時はやっぱり映画を観なくては。
 とりあえず今みたい映画は「ヤッターマン」かな。ドロンジョ様に癒されたいなと。(笑)
 
 そして、「ハルフウェイ」。これは見逃せません。近々私の街でも公開されるので、何を置いても駆けつけようと思っています。北乃きいはいつの間にか私の中で、それ程の女優に成長いていたんです。

 家でDVDを観る余裕もない日々が続いているわけですが、「ハルフウェイ」のことを思うと、ワクワクします。※作品の出来をそれほど期待しているわけではないのですが・・・。

 映画がある人生。いいですね。
tenngoku1 生きることの意味とか、別離の悲しみとか、そういったことを声高に叫ぶ映画は好きになれません。泣かせよう、考えさせようと訴えかけられるほどに冷めてしまいます。だからそういう匂いのする映画は本能的に?避けてしまいます。すると、単館系の映画ばっかり見ることになるんですよねぇ・・・。(笑)


 この映画はいいですね。普通に語りかけてくれます。「こう思うけど、どう?」みたいに。その加減がとてもいい。肩の力が抜けて、私はずっと微笑みながら見ていました。

 加藤ローサ。いい!
 この素直な演技・・・、いや、演技なんて感じさせない自然な存在感はどうでしょう。いつの間にか、彼女の表情をずっと追っていました。これは”恋”かな?なんて思うほどに(笑)、彼女が私を惹きつけます。

 徳井義実はやっぱりいいですね。チュートリアルの徳井も好きですが、役者としての徳井義実が断然いいです。それはTVドラマ「無理な恋愛」の東海林龍彦役の時にも感じていたのですが、この人の魅力も素直な演技です。今回の役も、そんな彼にピッタリでした。これからが楽しみだなぁ。

 とっても幸せな気分にさせてくれます。ラストもあれでよかったかな。その後の物語も色々と想像させてくれる、みなさんにお勧めしたい素敵な日本映画だと思います。

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nisino2.jpg おばあちゃんというのは、いつの時代も、どこの国でも特別な存在ですね。優しくて、温かくて、少し厳しくて、いろんなことを知っていて、いつも私たちを助けてくれる。
 
 西の魔女・・・。私のおばあちゃんも、こんな人だったような気がします。苺ジャムは作ってくれなかったけど、トウモロコシをおいしく湯がいてくれました。(笑)お洒落に着物を着て、お酒もちょっぴり飲んで、三味線なんかも弾いたりして・・・。一見、サチ・パーカー演じるおばあちゃんとは全然違うかもしれないけど、負けず劣らすお洒落で素敵なおばあちゃんだったと思います。そして何より、いつも私を助けてくれました。思えば、私のおばあちゃんも魔女だったのかもしれないと・・・。

 人が一人前に育つ間には、本当に奇跡的な瞬間が繋がっているものなのでしょうね。そしていろんな出会いがあって別れがあって。それら全てが何ひとつ無駄なく、私たちのためにある。主人公の少女の人生には、おばあちゃんとの出会いと別れが必要だったのだと思います。でも、そんなこと失ってからでなくっちゃ分からない。いくつもの別れを繰り返し、人は生きることの意味を理解していくのではないでしょうか。

 人生を、正しい方へ導いてくれる人。西の魔女は、そんな人でした。とすれば、魔女は何処にでもいるんですね。私にも、あなたにも。

 この映画を通して、いくつもの大切な瞬間を思い出しました。私がここまで成長するために必要であった、楽しかったことも悲しかったこともみんなみんな。そして、それはとても幸せな経験でした。

 いい時間を、この映画と共に過ごすことが出来ました。

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tounann1.jpg いい感じの映画なんですが、これといった印象は残りませんでした。まぁ、それがこの作品のよいところなのかも知れません。ちょっと素人っぽくて、でも、少しおしゃれで、癒されて・・・てな感じの映画が好きな人には、ピッタリかと思います。

 西島秀俊って、いつ見てもこんな感じですね。なんか、いつも突っ立って困っているような、怒っているような・・・。
 加瀬亮も、このスタイルには少し飽きてきました。「それでもボクはやっていない」の主人公を、いくつものバージョンに分けて見せられているようで。TVドラマなんかに出ていると、すり切れてしまいそうで心配してしまいます。

 この映画で唯一の収穫?は、立花梓ですね。もう、この人を知っただけでも大満足です。この映画のヒロインとして、とってもイイ感じの自己主張ができていたように思います。彼女が醸し出す雰囲気が、この映画全体を包み込んで、作品の魅力となっているように思いました。これからが楽しみです。

 物語については・・・。悪くはなかった、けど、こぢんまりまとめすぎたかな。監督が自分の個性を発揮するというよりも、それぞれの役者が持つ個性に頼った作り方をしているところに、不満が残りましたね。なんか魅かれるものがあるから、次回作に期待します。

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sonohino2.jpg かつて私は大林映画が大好きでした。特に尾道3部作は、我が青春時代を彩ってくれたとても大切な映画です。その中でも「さびしんぼう」が大好きで、いったい何度観たことか。家庭にビデオデッキが普及し始めた頃でしたので、それはもう繰り返し繰り返し・・・。

 その後の大林映画については、正直なところ1作ごとに遠ざかっていきました。私と大林監督が描く世界との間に、埋めることの出来ない溝が広がっていったような気がします。その理由は・・・。

 久しぶりに観た大林映画。映画少年の心をくすぐるような不思議な感覚は昔のままで、故郷に帰ってきたような感じにしばし身を任せていました。そして、やっぱり蘇ってきた違和感。「あぁ、またか・・・。」と、すこしガッカリ。

 サービス過剰なんでしょうね。きっと。「映画ってこんな事も出来るんですよ」って、教えてあげたいんだと思うんです。「いいでしょう。一緒に楽しみましょう」って、語りかけたいんだと思うんです。観客のみんなに。

 でも、それがやっかいなんですよ。もっと楽しみたいのに、もっと感じていたいのに、正直よく分からなくなるんです。「あぁ、また悪い癖が出てる」って、思ってしまうんです。

 この作品も、もっとストレートに描いた方がきっともっと泣けたと思います。もうベタベタな話になっていただろうけど、分かりやすかったかと。まぁ、映画としての評価としてはどうなるのかは分からないんですけどね。

 私は「さびしんぼう」が大好きです。「さびしんぼう」の後半が本当に大好きです。あの切なさ、愛おしさ。今思い出しても胸が締めつけられます。大林監督の真骨頂は、どこか懐かしく哀しく愛おしい画面作りにあると思うんです。これは誰にも真似が出来ない。尾道三部作がみんなに愛された理由も、その辺りにあると思います。私は「さびしんぼう」の後半、橘百合子さんの物語が映画にならないものかと、ずっと願っていました。

 「その日のまえに」

 久しぶりに大林監督の愛おしさ一杯の画面に再会できたように思います。物語も共感できる部分がたくさんありました。自分なら・・・と考えると、胸が締めつけられて思わず涙を流して・・・。でも、分かりにくかった。もっと分かりやすく語ってほしかったなぁ。シンプルに。

 それが大林監督の私たち映画ファンに対する精一杯のサービスなんだとは思うのですが、優等生じゃない私にはちょっぴり高級すぎて「あぁ・・・、ちょっと無理かなぁ」と。

 それでも、大林映画の感覚を少し取り戻したので、また見始めようかななんて思っています。久しぶりに、小林聡美さんと組んで楽しい映画を作って欲しいなぁ。樹木希林との親子復活!なんてのはどうでしょうか?期待しています。

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itoosiki3.jpg 「誰も私を理解してくれない。」でも、明日は必ずやってくる。そして、きっと今日よりちょっぴりしあわせ・・・。

 不思議な映画ですねぇ。北欧の色と言えばよいのでしょうか。霞がかかったような色調でフワフワとした映像。つかみ所のない人々の日常が淡々と、でも、ある種の緊張感を持って描かれています。「おもしろい!」とは思わないけど、画面からは目が離せない。理解しがたいけど、何か素敵な感じは伝わってくる・・・。

 途中で”理解”することは断念しました。そして、”感じる”ことに専念しました。すると、とても心地よくなりました。

 「好きか?」と聞かれれば、「嫌いじゃない。」としか答えられないような、とっても不思議な映画です。

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paper4.jpg 映画史に燦然と輝くテイタム・オニールの演技。この年、オスカーを史上最年少で授賞したのも納得できますね。数々の子役達が活躍してきた映画界にあって、古今東西これほどの演技となると・・・やっぱり思い浮かびません。とにかく素晴らしいの一言に尽きます。

 大恐慌時代のアメリカ中西部を舞台に・・・となると、「俺たちに明日はない」と重なります。乾いた荒野、生活に疲れた人々、刹那的な生き方・・・。いくつかの共通項がありますが、あの映画が”無軌道に時代を駆け抜けた男と女”を描いていたのに対して、この映画では”再生しようとしている家族”が描かれているように思います。これは、それぞれの映画が作られた時代のアメリカの気分といったものが反映しているのでしょうか。

 言うまでもなく「俺たちに明日はない」はアメリカン・ニューシネマの幕開けを飾った記念碑的な作品ですが、「ペーパームーン」はニューシネマ時代の真っ只中にありながら同系列の作品としては位置づけられていません。(ピーター・ボクダノヴィッチ監督はニューシネマの一人と位置づけられているのですが・・・)やはり、ハッピーエンドだからでしょうね。1967年から1973年。この間にあったアメリカの変化。ベトナム戦争の終焉・・・ウォーターゲート事件・・・。
 この頃のアメリカの人たちは、既成の価値観を破壊することにも飽き始め、そろそろかつての良心とささやかながらも幸せな日々を取り戻したいと願っていたのかもしれません。まだしばらくはニューシネマの時代が続きますが、この辺りから次第に未来志向の作品が増え始めてきているように思います。そして、ベトナム戦争を検証するにはまだまだ生々しくて、今しばらく時間が必要であったのだと思います。
 ちなみにこの年のアカデミー作品賞は「スティング」です。やはり1930年代を描き、痛快などんでん返しのハッピーエンドが楽しかった作品です。時代はハッピーを求めていたんですよ、きっと。

 このように考えると、この映画が公開されたとき、テイタム・オニールが見せた、実の父であるアイアン・オニールを喰ったような小生意気な演技が、どれ程の人々心をほぐし広々と解放させたか、想像に難くありません。みんな、アディのけなげな奮闘に拍手し、彼女の幸せを心から願ったのだと思います。

 ラスト、荒野の彼方まで果てしなく続く一本道。アディとモーゼの旅もどこまでも続いていきます。それは見せかけの幸せ(ペーパームーン)ではない本物の幸せを見つける旅なのだと思います。2人の幸せを祈らずにはいられませんでした。

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magic2.jpg
 とても面白かったです。これなら映画館で観ていても文句はなかったかな。でも、どうしても観に行く気になれなかった・・・。なぜ?

 映画が公開される前にあれだけ監督がウロチョロされちゃぁ、観る前からお腹いっぱい状態で、だんだん気持ちが萎えていったというか、もうほとんど観た気分にさせられていたんですよねぇ。それも、ちょっぴり批判的に・・・。

 さすが三谷監督。楽しませるツボは心得ているわけで、観て決して損はないのですが、あまりにもその仕掛けがミエミエなんですよね。無理矢理楽しませられているような気分になるところもあって、「どうです。ここ笑えるでしょ。」と、スクリーンの向こうでほくそ笑んでいる監督の顔が浮かんできてしまうんです。これまでのイメージを壊したかに見える佐藤浩市の演技でさえ計算尽くで(監督自身のコメントにもそうした意図がハッキリと表れていました)、そこらにも少し嫌気が・・・。

 結局、この作品はあまりにも三谷幸喜的で、そこが売りなんでしょうけど、同時に最大の欠点だと思うんです。つまり、「ちょっと飽きたかな。」と。

 でも、やっぱり面白いんですよ。家で家族とレンタルDVDで観るには最適かと。

 次回作を期待しましょう。次は、アッと驚かせて下さい。古き良きハリウッド映画をなぞったような作品じゃない、「これがあの三谷作品か・・・」と、世間をおおいに裏切るような作品を期待したいと思います。

 それと、監督が映画の宣伝しまくるのは、もうよしましょうね。

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aruitemo4.jpg  『ぐるりのこと。』の感想に「一組の夫婦が歩んできた日々を炙り出すかのように描いた・・・」と書いたのですが、『歩いても 歩いても』は「ある家族の1日を、さっとすくい取った」とでも表現すればよいのでしょうか、まるでその場に居合わせて、その家族の日常を楽しく眺めているような錯覚に陥りました。

 この2作品に共通しているのは、決して美化することなく人間を描いているということと、その描き方があくまでも日本的であることだと思います。日常生活の中にある喜怒哀楽を、誇張することも矮小化することもなく、ありのままに描こうとする姿勢。その潔さと覚悟に、我々は心打たれるわけです。だって、なかなか出来ませんよ。何気ない日常の中で繰り返される些細な出来事を通して、普遍的な愛の物語を作るなんて。ドラマチックな展開を排除して、ドラマを作る。これは相当に練り込まれた台本、隙のない演出、計算を感じさせない完璧に計算された演技などがそろって初めて可能になる、まさに力業であると思います。

 そしてこの2作品の相違点は、『ぐるりのこと。』がより意図的に人間を描こうとし『歩いても 歩いても』の方はもう少し引いたところから描こうとしているところだと思います。だから、前者は炙り出しているという印象になるのですが、後者は透けて見えるような印象になるのだと思います。

 この作品で特筆すべきは、やはり樹木希林の演技ですね。彼女の放つ言葉の深さ。これは相当に考えられたセリフであると思うのですが、彼女だからこそその言葉が生きてくる。本当にドキッとします。そして、思わず笑ってしまいます。人生って本当に可笑しくて哀しいものなんだなぁとつくづく感じ入ってしまいます。

 「歩いても 歩いても」なるほど、そこから来てるのか・・・。(笑)

 他の役者もそれぞれに素晴らしい。みんながそこに生きています。映画を見ているなんてこと、忘れてしまいますよ。演技してないんだもの、この人達。(笑)

 この映画を見て1週間、意図的に感想をまとめるのを避けていました。それは、この作品が私の中にどうのように入ってくるかを確かめたかったからです。入ってきますねぇ・・・ジワッと。そしてどんどん広がっています。いい映画なんですよ。間違いなく。

 この作品でまた、是枝監督は私の中で今一番信頼できる監督であることを確認できました。

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gururi1.jpg 一組の夫婦が歩んできた日々を炙り出すかのように描いたこの作品は、観る人の立つ位置によってさまざまな感想を生み出すのだろうなと思います。

 「そうなんだよなぁ・・・。」とか、「夫婦っていいものなんですね・・・。」とか。もしかすると、「ちょっとエッチなところが・・・。」とか、「つばの場面が・・・。」とか、「長いなぁ・・・」なんてのもあるのかも。

 どんな映画であっても映画を観るということは、観る人のそれまでの人生があって、観たときの状況があって、結果、その作品のどの部分に引っかかりこだわり考えるのかが決まってくるのではないでしょうか。
 この映画の場合、特にそうした映画を観る前提としての観客の状態が評価を左右するのではないかと思いました。本来、観客が映画を選ぶものであると思うのですが、こうした作品の場合は、映画が観客を選ぶと・・・。

 ちなみに私の場合は、「そうなんだよなぁ・・・。」と思いながら、スクリーンの中に自分を見つけながら観ていました。隣りに座って観ている連れ合いもきっとそうなのだろうなぁと思いつつ、「ほんとはどうなんだろう・・・。」などと気になりながら。(笑)

 きちんと生きていくというのは、とっても面倒なことですね。きちんと夫婦をしていくなんてのも、実はなかなか大変なわけです。繋がっていると思うから夫婦でいられるわけなんだけど、恋人同士のようにその繋がりを常に確認して喜んでいるわけではないから、本当に繋がれているんだろうか・・・なんて、ふと不安になったり。いやいや、繋がり合っているんじゃなくて、ただ繋ぎ止められているだけなんじゃぁと恐ろしくなったり悲観したり(笑)。とにかく、なかなか大変なわけですね。
 でも、そんなことをあれこれ考えながら日々の生活を紡いでいく。ちっちゃな喜怒哀楽をくり返しながら・・・。そこにこそ幸福がある。そう思えなきゃ、夫婦でなんかいられないのだと思います。

 こんな風に思う観客である私にとって、この映画は実に良くできていると思うわけです。冒頭にも書いたように、まさに夫婦の日々を炙り出していると思います。男と女、一人一人の人間として日々。その思い。「そうなんだよなぁ・・・。」と。

 「ハッシュ!」の時も驚いたのですが、橋口亮輔監督は本当にきちんと映画を撮っていますね。自分が描こうとしているものに対して、どこまでも真剣に向き合っていると感じます。だから、少々非日常的な設定にも説得力があり、下手をすると下品になってしまいかねない場面なんかも笑えてしまう。それは、我々人間の本質を描いているからなんでしょうね。観ていて自分の中の奥深い部分が共鳴しているように感じました。
 でも、きちんと撮ることはきっと大変なことだと思います。頑張れば頑張るほど翔子のようにバランスを崩してしまうかも・・・。「ハッシュ!」から6年。監督の日々もきっと大変だったんだろうなぁ・・・・。

 木村多江とリリー・フランキーというキャスティングも絶妙でした。また、ちょい役に次々と出てくる個性的な役者達の演技が楽しくて、この監督の映画に出たいとみんな集まってきたのかなぁなんて、一人納得しながら観ていました。そして、そんな中でも片岡礼子が抜群でしたね。この作品で再会できたことが本当に嬉しかったです。

 この映画も含めて、2008年は、邦画がとても充実した年だったんだと再認識しました。

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 いよいよ大河版トレンディドラマ路線まっしぐらってな感じになってきましたね。それならそれでよいのですが(そのつもりで見るから)、ところどころで大河としてのプライドのようなものも見え隠れして、一体どうしたいのかが、未だ掴み切れません。

 でも、阿部寛の謙信や吉川晃司の信長など、見所もたくさんあるわけで、ついつい見てしまいます。
 今回は、お船(常盤貴子)と兼続(妻夫木聡)の漁師小屋の場面は良かったですね。「潮騒」か!なんてツッコミを入れたくなりましたが、常盤貴子はこういう役をさせると魔性の魅力を発揮します。また、華姫(相武紗季)も可愛らしかった。でも、景虎(玉山鉄二)に寄り添うといった演出は、もはや大河じゃない!と思いましたが。
しかし、相変わらず景勝(北村一輝)の描き方が中途半端で、北村一輝に期待していた者としては、今週も不完全燃焼でした。
 
 来週は「信長は鬼か」だとか。ちょっと期待できますね。
 
 合成画面の質がやや低下しているような・・・。こうした部分での緊張感を維持して欲しいものです。

NHK:HPより
天正元年(1573年)7月、越中の混乱を治めた上杉軍は春日山に戻り、祝い宴を開いていた。席上、だれもが、景勝(北村一輝)・景虎(玉山鉄二)二人の活躍ぶりに酔いしれていた。

北条氏からの養子である景虎の身の上を、ずっと不憫(ふびん)に思っていた謙信(阿部寛)は、景虎を真に上杉家の人間として迎えるため、景勝の妹の華姫(相武紗季)と婚儀を決意する。

早速、兼続(妻夫木聡)は祝いの品を買いに、お船(常盤貴子)と二人で、直江津の町に出かけた。帰り道、雨に降られた二人は、浜辺の漁師小屋で雨宿りをすることになり、気まずい雰囲気に陥る。

一方、その頃、兼続の実家の樋口家では、母・お藤(田中美佐子)が病で床に伏すことが多くなっていた。

翌年、天下統一を狙う織田信長(吉川晃司)から謙信にいきなり洛中洛外図が送られてくる。その絵には、御所に向かう謙信らしき武将の姿が描かれていた。兼続は、絵は信長の謙信に対する挑戦状と考え、真意を確かめるため、信長の使者として来た初音(長澤まさみ)とともに、信長のいる岐阜城へと旅立つのだった。

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 音楽が我々の人生をどれほど豊かにしていることか・・・。これまで幾度となく描かれてきたテーマではあると思いますが、その都度、「なるほどそうだよなぁ」と共感し、感動してきた私です。

 そして、この映画もやはり、共感しまくり感動いっぱいでした。(笑)

 1992年、イングランド北部の炭坑町グリムリーは、廃坑の危機に。抗夫たちの苦境を利用して一方的に廃坑にしようとする経営者側に対して、団結して炭坑の存続を願う抗夫たち。しかし、生活苦などにより足並みはそろわず・・・。
 ここまで来ると、「あっ!何かに似ている。」と思う人がたくさんいると思います。そうです、「フラガール」ですねぇ。娘達のフラダンスに対して、オヤジたちのブラスバンド。どちらも、炭坑の街に妙にマッチしています。

 イギリス映画には、独特のユーモアがありますね。これは、決してアメリカ映画では真似の出来ないものです。それは、やはり比べようもない歴史の力の差とでもいうべきものゆえのような気がします。このドラマのモデルになったブラスバンドも、実に100年の歴史があるのだとか。そうした背景があるからこその説得力が、一つ一つのセリフや仕草なんかに現れてきます。彼らが、なぜ生活を犠牲にしてまで音楽にこだわるのか?この問いに対する答えも、その辺りにあるように思います。

 以前「歌え!フィッシャーマン」というノルウェー映画を見ましたが、音楽と本当に上手に付き合っている人々の姿がとてもうらやましかったものです。それは、ルーマニアを舞台にした「炎のジプシーブラス 地図にない村から」を見た時にも感じたものです。そしてまた、この映画でその思いを一層強くしました。

 何か一つでいいから、楽器が思うように扱えたらなぁ・・・。こんなことを思っているうちはダメなんでしょうね。そんなこと考える暇があれば、まず手にしてみろと・・・。いや、楽器なんかなくったって、歌えばいいじゃないかと。

 人生に必要なもの・・・。

 夢と誇りと音楽と。

 この映画から、とても大切なことを学べたと思います。

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